2018年09月26日

河井寛次郎記念館

文化財の宝庫・京都市に柳宗悦濱田庄司バーナード・リーチらと共に民芸運動も力を尽くした陶芸家・河井寛次郎(1890〜1966)の記念館があります。

寛次郎は、大正9年(1920)に5代目・清水六兵衛より陶窯を譲り受け独立。昭和12年(1937)のパリ万博、昭和32年(1957)のミラノ・トリエンナーレ展でグランプリを受賞(当時、高島屋の宣伝部長をしていた川勝堅一が本人に内緒で応

募)し世界にその名を知らしめました。

記念館の建物は、作陶をはじめ、木彫、文章を通じて良き精神を追求した彼の聡明で心豊かな生活を追体験できる空間です。囲炉裏のある部屋や中庭、茶室、工房などで佇んでいると、まるで自宅にいるように和んでしまうでしょう。島根県能義郡安来町の棟梁の次男として育っただけに自ら設計、兄・善左衛門の手によって昭和12年(1937)に建てられたそうです。寛次郎没後7年の昭和48年(1973)に記念館として開館。館長は、寛次郎の一人娘の河井須也子さん。主任は、寛次郎の孫にあたる荒川洋子さん。

河井一門の作品を扱っていた近所の骨董店主から、「最近、河井寛次郎記念館で盗難が頻発しているのですよ」と聞きました。寛次郎さんの体温が奪われていくようで、とても悲しいです(2004年5月31日、追記)。


NEWS! ご案内をいただきました (^_-)-☆

特別展:没後50年 河井寬次郎展
    過去が咲いてゐる今、未来の蕾で一杯な今
会 期:2018年9月22日(土)~12月9日(日)
入館料:1,000円(一般)
会 場:兵庫陶芸美術館
    東京都港区東新橋1-5-1 東京汐留ビル4階
    03-5777-8600

島根県安来市に生まれた河井寬次郎(1890〜1966)は、明治43年(1910)に松江中学校を卒業後、東京高等工業学校(現・東京工業大学)窯業科に入学。雑誌・白樺が主催したバーナード・リーチ(1887〜1979)の新作展を見て感銘を受け、後に交友を結びました。また、同校では後輩の濱田庄司(1894〜1978)と出会い、生涯の友人となります。

卒業後は、京都市立陶磁器試験場で技師として研鑽を積み、大正9年(1920)、京都市五条坂の清水六兵衞の窯を譲り受け、工房と住居を構えました。翌年、「天才は彗星のごとく現る」と絶賛を浴びた初個展以来、高度な技術を駆使した中国や朝鮮の古陶磁の手法に基づいた作品が好評を博しますが、次第に自らの作陶の在り方に疑問を抱き、大正13年(1924)、濱田を介して柳宗悦(1889〜1961)と親交を結ぶと、それまでの作風を一変し、実用を重んじた力強い作品を生み出していきました。

大正15年(1926)、「日本民藝美術館設立趣意書」の起草に加わり、柳や濱田とともに民藝運動を推進し、昭和11年(1936)に日本民藝館が開館されると理事に就任しました。戦後は、色鮮やかな釉薬を用いた重厚で変化に富んだ独自の作風を確立する一方、実用にとらわれない、自らの内面から湧き出る自由で独創的な造形表現を展開し、その卓抜した芸術性は、没後50年を超えてなお、国内外で高い評価を受けています。

本展では、京都の旧宅であった河井寬次郎記念館の所蔵作品を中心に、本邦初公開となる山口大学の所蔵作品、京都国立近代美術館に収蔵されている川勝コレクションなどから、陶芸や木彫、書、調度類など約200点を紹介し、河井寬次郎の仕事の全貌とその深い精神世界を辿ります。

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)