2018年09月23日

鞆の浦にて

画像右上は、保命酒の造り酒屋・中村家住宅(現・太田家住宅)の中庭。竹で囲われた区画には、金蔵があったと推測されています。平成8年(1996)1月から平成13年(2001)12月にかけて修復(費用:約10億円)されました。

画像右下は、いろは丸展示館 。慶応3年(1867)4月19日、土佐藩参政・後藤象二郎から海援隊の隊長に任じられた坂本竜馬は、伊予国大洲藩(現・愛媛県大洲市)からチャーターした蒸気帆船・いろは丸(船価:4万2千5百両、一航海:15日間で500両)に鉄砲などの物資を積み長崎を出港、大坂を目指すも、4月23日の午後11時頃、瀬戸内海の六島沖で紀州藩の蒸気船・明光丸に衝突され大破、積荷もろとも鞆の浦沖に沈没してしまいます。海援隊としての初商いをフイにされ、船も失った坂本竜馬は激怒、明光丸の操船に非があると「万国公法」を論拠に補償を要求。紀州藩が用意した鞆の浦の魚屋萬蔵宅や対潮楼での交渉が決裂するなど、その後も紆余曲折ありますが、最終的に長崎で龍馬は賠償金7万両を手中にします(参考サイト )。

画像左下は、いろは丸を沈没させられた坂本竜馬は、紀州藩に損害賠償などを求めて魚屋萬蔵宅に4日間通いますが、その際に身を寄せたのが、土佐と商取引のあった回船問屋・升屋清右衛門宅(御舟宿・いろは)。

画像左上は、食事処・おてび。屋根の上にあるのが店名の由来となった大手火。常々、養殖の現場で働いている人たちから「養殖魚を食べたらダメだよ。長生きしたかったら小魚を食べなさい」と聞かされてきた。マグロやカジキなど食物連鎖の上位を占める魚類の水銀汚染、鯛やヒラメ、フグなど養殖魚の抗生物質・抗菌剤残留、養殖場の薬害(ホルマリンなど)は疑いようもない。地元の漁から帰ってきた漁船に近寄って微笑みかければ、「好きなだけ持って帰れ!」と分けていただく小魚たち・・・市場で値が付かないって信じられません。農業の現場も同じなのかな? 声を大にして叫ぶぞ。海、山、川を殺しているのは、誰だ!


NEWS! 鞆の浦判決 町づくりに景観生かせ

万葉集にも詠まれた瀬戸内海の景勝地、鞆の浦の埋め立て・架橋計画について、広島地裁が原告住民の訴えを認め、県知事に埋め立て免許を出さないよう命じた。「景観利益の保護」を理由に公共事業を着工前に差し止めた初めての判決だ。ひとたび景観が破壊されれば「これを復元することは不可能」と判断した。「動き出したら止まらない」とされてきた開発行政のあり方に一石を投じるものとして評価したい。

推進派の住民も景観の価値自体は認めている。原告も、町の現状を何とかしなければとの思いはある。利便性と景観のどこにバランスを置くのか、苦渋の選択を迫られていた。計画から20年以上の論争を経て、計画推進を公約に掲げた現市長が2004年に初当選。架橋に大きくかじが切られたが、判決は鞆の浦の景観を「国民の財産ともいうべき公益」と認め、この流れにストップをかけたのである。

柳井(山口)、竹原(広島)、下津井(岡山)など、瀬戸内海には昔ながらの風情を残す港町がいくつもある。多くは鞆の浦と同様の悩みを抱えている。一方、こうした町並みを保存し、ネットワーク化する動きもある。不便でも景観を守ることが観光価値を高め、ひいては活性化につながるとの指摘もある。町づくりの主人公はあくまで住民である。景観か利便性かの二項対立に終わらせず、判決を契機とし、新しい発想で議論を深めてほしい(毎日新聞の社説を要約一部転載。2009年10月3日、追記)。

文化庁による重要伝統的建造物群保存地区の指定を目指している鞆の浦。頑張れ!


NEWS! ご案内をいただきました (^_-)-☆

企画展:鞆の浦 de アート 2018
会 期:2018年9月30日(日)〜10月21日(日)
入場料:無料
会 場:福山市鞆の浦・一円

かつて潮待ちの港として栄えた鞆の浦。歴史的建造物が現存し、在りし日々の面影を随所に残す町並みを散策しながら、様々なジャンルのアーティストが繰り広げるアート作品をお楽しみ下さい。

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